未知の領域へと

24 Sep 未知の領域へと

未知の領域へと足を踏み入れることは、ときにとても恐ろしいことです。私もいままでに何度か先がまったくと言えるほど見えない「一寸先は闇」の体験をしています。この新しい状況へと、あの新しい道へと踏み出すべきでしょうか。リスクは未知数です。正しい選択もわかりません。新しいこと、違ったことを始めるときには、結果を確信したいものです。起こりうるすべての事態に備えたいものです。ですが将来がわからないということは、自分では将来を制御できないことを意味します。それでも自分が何かをしなければ、自分がチャンスを逃してしまったら、すべてが壊れてしまうというストレスフルな思いにとらわれていました。いうまでもなく、この考え方は精神衛生上もよくありませんでした。

私たちはたしかに自分たちの将来を制御できないかもしれません。ですが、主はその不確かさをご自身の慈しみで埋めてくださいます。主はすべてを知っておられます。主は私たちの感じていることや欲していること、私たちにとっての最善をも知っておられます。未知の領域へと踏み入れるとき、主は私たちとともに歩んでくださいます。「一寸先は闇」のとき、いままでに主が忠実さを示されてきた数々のときを思い起こさなければいけません。楽なときも、苦しかったときも、神様はいつも一緒にいてくださいました。痛みのときも、喜びのときも、主はともにおられたのです。

「空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」
マタイの福音書6章26–34節(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)

私たちに必要なことはただ、主に「はい!」と言うことです。主は私たちを大切にされておられます。ただ、そのケアを受け入れれば良いのです!

ハリソン・コルツ(財務アシスタント)

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