苦しみの日に

28 Jan 苦しみの日に

私は当初、悲しみというトピックについてどう書けば良いか分かりませんでした。悲しみとは、ときに長く続くものです。難しいもの、複雑なものでもあります。悲しみについて書くのなら、それを乗り越えた者として、困難な旅路を力強く踏破した者として、嵐や危機一髪の体験を振り返るときに、腹を抱えて笑う者として書きたいものです。私はまだ過去を振り返る時に、心の痛みを感じずにはいられません。それでも、私には伝えることのできる証しがあります。私は悲しみの真っただ中でインマヌエルなる神様と出会いました。私には「主はともにおられる神様である」という証しがあります。

私は若くして宣教活動に身を投じました。青春時代はうつと孤独に悩まされていましたが、その後、信仰が深められ、その信仰を活かした、新しい人生を海外で築きたいと思うようになりました。神様に仕えたい、人々の人生が神様に変えられていくのを見たい、という願いはたしかにありましたが、他の動機も混ざっていたことを否めません。私は一心に愛を注ぎ、自分を取り巻くコミュニティーからもまた愛を受け、朝から晩まで忙しく奉仕活動に励んでいれば、孤独な青春時代の過去を置き去りにできると思っていたのです。神様に従い続けてさえいれば、全てがうまくいき、喜びとドキドキに満ちた人生が送れると思っていたのです。

神様は私をアジアのとある島へと導かれ、私はその島での生活に惚れ込みました。中高生たちの英語教師として、私もまたその地の言語を学ぶ日々。時間さえあれば海辺の村落を散策し、想像を膨らませました。「ひょっとしたら、ここで一生を過ごせるかもしれない!」いまはまだ中高生の生徒たちが成長していく様子。コミュニティーとともに歩み続けるこれからの年月。そして、一番の親友である彼氏との結婚。私は彼とともに、国々へと出て行き、福音を伝えることを夢見ました。私と彼と友人たちと、礼拝ミニストリーをいつまでも続ける将来を、充実した未来を思い描いていました。

しかし、現実はそんな想像とは相容れないものだったのです。私と彼氏との関係は虐待的なもので、私は彼の望みに応えようと自分を無理矢理曲げなければいけませんでした。もがき悩み、尊厳を失い、変わり果てていく自分。私は幸せで成功した宣教師の役をただ演じていたのです。健康で敬虔な恋愛関係もまた、ハリボテにすぎませんでした。自分の演じていた役が、自分の現実になってほしくてたまらなかったのです。

私の魂は飢えていました。

そんな時、私は短期の帰省をするつもりで実家へと帰りました。青春時代の内装が色濃く残る私の部屋。そこで私はビデオ通話越しに彼氏と別れました。とっくのとうに別れるべきだったのでしょう。それでも、私はこの別れを望んではいませんでした。島へと帰る予定は消え去り、私の愛する生徒たちのもとへと戻る予定もまた、かき消されました。

私は深いうつ状態へと陥り、病んでしまいました。私の悲しみを前に、友人たちはなすすべも知らず、そのうちの数人かは私との連絡を断ってしまいました。奉仕活動を支えていた献金も途絶え、数週間を予定していた実家での滞在は何ヶ月にも膨れ上がりました。その頃感じていた、逃げ道の無いような感覚をいまでも覚えています。私の築いていた人生は、私の捧げた年月は、全て枯れ果ててしまったのです。私は自己嫌悪のどつぼにはまり、神様のことも責めました。「神様、なんで私のことを見捨てたのですか!?」

私はそれまで、人生を登山になぞらえて考えていました。山を登ることは容易ではありませんが、頂上からの眺めは格別です。私は人生とは友人たちとともに栄光から栄光へと歩む旅路だと思っていました。しかし、私の登っていた山は険しく、孤独な山へと豹変してしまったのです。帰る道も見失い、来た道を戻ることも、もはやできません。ただひたすら、一寸先も見えない闇の中を進んでいかなければならないのです。

このように、自分の人生を山に例えて思い描いていた私に、もう絶対に聞くことはできないと諦めていた声がかかってきました。

「私があなたの隠れ家となる。」

私の心のうちにイメージが与えられました。暗闇の中で、イエス様が私を小さな洞窟へと招き入れているのです。招かれるままに洞窟へと進んで行くと、そこはこじんまりとしたシンプルな部屋のように、私のために整えられているではありませんか。

「横になって休んでいなさい。いま、お茶を入れるから。一緒に時間を過ごそう。」

疑問が頭をよぎります。私がイエス様をもてなすべきなのではないでしょうか?私がしっかりと立って、イエス様に仕えなければいけないのではないでしょうか?

「あなたはただ休んでいなさい。私が面倒を見るから。」

私は言われるままに休みます。イエス様のために食べ物や飲み物を用意する余力も、もはやありません。疲れ果てて、横たわっていると、イエス様が静かにお茶の用意をしている音が、ティーカップがカタカタという音ややかんの水が沸騰する音が聞こえてきます。イエス様の臨在は心地良さそのものです。私にはなんの期待の重荷もかけられてはいません。イエス様の気遣いは感じられますが、私のことで不安に思っている様子も全くありません。イエス様の優しい鼻歌が、その落ち着きを物語っています。

時間はただゆっくりと流れていきます。

そして、ふかふかな布団のように安堵が私を包み込みます。

「休んでいる間も、ずっとそばにいるから。少し力がついたら、身体を起こして、食べさせてあげる。そして、そのうち一緒に洞窟から出ていこう。でも、その前に少し休みなさい。」

その頃の私は、心の痛みと疲れとのせいで、自分の回復を思い描くことすら難しく感じました。ですが、その時、自力では吸って吐くことすらできない私の胸を神様の息吹が満たすのを感じたのです。その息吹こそが私にいのちを与え、癒されるまで私を支えてくれました。この隠れ家のイメージから滴る安心感に、私は圧倒されました。私は神様に裏切られたと思い、神様のことを責めていたわたしに神様は平然としたままです。私の怒りにも動じません。

この時を境に、私の悲しみが全て終わったと言いたいところですが、それからの数年間は不条理にも、孤独や進むべき進路についての混乱、愛する人の死や失恋が度重なりました。しかし、そのたびに、神様は私を隠れ家へと招いてくださいました。

「いつでも隠れ家を用意するから。必要があれば入っておいで。休みなさい。」

私は隠れ家に招かれたら、躊躇することなく入っていくようになっていきました。自分の弱さを神様に預け、遠慮せずに世話をかけることも少しずつ上手になっていきました。横たわっていなければいけない時間も短くなり、神様に傷口を洗われるときに怯まないようにもなりました。神様が私のためにパンを焼いてくださったのなら、私はそれをすぐに食べ、神様が私のために水を注いでくださったのなら、私はためらわずに飲むようにもなりました。神様とともに旅路を歩んでいく中で、神様に寄り掛かることも少しずつ増えてきました。

これらの隠れ家は私にとって悲しみの場所でしたが、同時に喜びの場所、主と親しく知り合うための場所にもなりました。このような洞窟の中で、神様と一緒に歌を書くことも経験しました。私を思いやってくださるお方は私の想像を絶する悲しみや拒絶、裏切りを体験されたお方です。私が心を痛めれば、そのお方も心を痛められるのです。私が体験する痛みをそのお方は全て、深く知っておられます。

私の親友であるこのお方は悲しみの人で(イザヤ53章3節)、私についてくださいます(イザヤ41章10節)。私がそれを必要とするときには隠れ場を備え(詩篇27章5節)、何度でも私を光へと導き出してくださいます(ヨハネ8章12節)。

私は悲しみを乗り越える旅路を、無傷では通れませんでした。硬くなってしまった心を解きほぐされた神様に感謝していますが、まだ完全には癒えていない傷もあります。天国に辿り着くその日まで、体験できない回復や和解もあるかもしれません。ですが、今までの道のりが楽であったら、私はこれらの隠れ家を経験できなかったと思います。その中で神様との素晴らしい時間も、過ごせなかったことでしょう。神様とともに流したそれらの涙は、今思えば黄金よりも尊いものです。

世界は今日、痛みに悶えています。最愛の人を失った者たちの鋭い痛みもあれば、希望が裏切られた者たちの鈍い痛みもあります。一人ひとりの悲しみが世界に一つだけの悲しみです。ですが、白紙の地図を片手に、道なき道を歩んでいる感覚は誰もが感じることでしょう。

悲しみとは、ときに長く続くものです。難しいもの、複雑なものでもあります。

ですが、私は胸を張って言うことができます。イエス様は私や他の誰よりも、悲しみを深く理解してくださるお方です。皆さんが険しい山を登っている時にも、イエス様は隠れ家を作ってくださいます。その隠れ家の中でイエス様は優しくいたわってくださいます。そして、その洞窟の中から導き出してもくださいます。

悩みの日に、私は宮へ出かけます。
主は私をかくまってくださり、
高い岩の上に座らせて(くださいます。)
主は、今度もきっと救い出してくださいます。
人々が生きているこの地上で、
再び主のあわれみを見ることができますように。
いらだってはいけません。主を待ち望みなさい。
主は必ず来てくださり、あなたを救ってくださいます。
勇気を出しなさい。主を待ち望みなさい。
主はきっとあなたを救ってくださいます。

詩篇27章5節、13-14節(聖書リビングバイブル ©︎1978, 2011, 2016 Biblica, Inc.®)

アマンダ・スタングランド (ワイワム東京スタッフ)

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