心を誘う美しさ

25 Jun 心を誘う美しさ

美とは私たちの霊に訴えかけるもの、私たちの心を捕らえ、引きつけるものです。

聖書の第一章では、神様が美を創造されています。世界が神様の命令に従い、良いものを生み出すよりも前に、神様はご自身の造られた世界を見て良しとし、祝福されました。美とは神様のご品性とご性質を現すものです。神様は私たちが美を通して、ご自身との友情と親しさを体験することを望んでおられます。

私たち人間の心は生まれながらにして、美しさと親密さを欲します。だからこそ、霧の切れ目から漏れる光には霊が躍動し、踊るようなメロディーとそれを包む音色には心を動かされるのです。また、互いの神秘的な美しさに触れたい、それを体験したい、といった衝動にも駆られます。これらの一つ一つが、ある事実を物語っているのではないでしょうか。私たち一人一人の心が美の根源であるお方のもとに帰還することを渇望しているのです。私たちは美を体験することなくして、生きてはいけません。

ですが、日々の平凡に慣れてしまえば、実用性を唯一の評価基準にしてしまいがちです。というのは、美とは必ずしも手に取ることのできる、永続する「結果」を生まないからです。故に、美が生活において必要ではなく、単なるぜいたくだと感じるかもしれません。私たちを取り巻くはかない美に対して、感覚を無くし、心をかたくなにしてしまうこともあるかもしれません。それでもなお、美とは私たちの霊に訴えかけ続けます。また、私たちの心を捕らえ、引きつけ続けます。美に対する目覚めにはリスクや痛みさえもが伴います。夕焼けとは必然的に一度きりのものです。花瓶の花は一週間も経たぬうちに枯れてしまうはかないものです。尊い思い出でさえ、切ない気持ちを呼び覚まします。それはその思い出が嫌な思い出であるからではなく、むしろその思い出が美しい思い出であっても過ぎ去ってしまったものであるからです。切ない気持ちを感じるのは、私たちの心が永久の美しさを体験するように設計されているからなのです。

美に伴うリスクや痛みに心を開いてみませんか?そうすれば、神様のもとに導かれることでしょう。私たちはまだ完全な美というものを、垣間見ることしかできません。それはまるで幕を通して差す一筋の光のようなものです。しかし、私たちはやがて、美との永遠の再会を果たすのです。

「わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。」

コリントの信徒への手紙一 13:12(聖書新共同訳 ©共同訳聖書実行委員会, 日本聖書協会)

アマンダ・スタングランド(メディアチームメンバー)

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