
20 5月 「島に打ち上げられる」こと
「しかし今、あなたがたに勧めます。元気を出しなさい。船は失うが、皆さんのうち誰一人として命を失う者はいないのです。……私たちは、必ずどこかの島に打ち上げられるはずです。」
使徒言行録27章22、26節(聖書 新改訳2017 ©2017 新日本聖書刊行会)
「島に打ち上げられる」ことは決して愉快なことではありません。座礁するということはむしろ、船に乗っている時に最も避けたいことの一つではないでしょうか。しかし、使徒27章のこの物語の中では、座礁こそがパウロ一行の命を救ったのです。
この物語の中でパウロは皇帝カエサルに上訴するために、兵士たちに連れられ、ローマへと向かっていました。航程が遅れたために航海が危険な季節に入り、案の定、嵐に遭ってしまった一行は暴風に流され、進路から大きく逸れてしまいました。
ここ東京でも、私たちは嵐に流されてきました。
この2年間は誰にとっても楽な2年間ではなかったことでしょう。ワイワム東京ではコロナ禍のために海外から人を迎え入れることがほとんどできなくなり、結果として資金難に陥りました。以前は訓練生や伝道チーム、ゲストの滞在、また年間を通して新しいスタッフの入会などもあり、その一つ一つがワイワム東京の運営を支えていました。しかし、ここ2年間は外国人の新規入国が制限されていたために、誰も来ることができなくなってしまったのです。
2016年1月以来、私たちはスタッフ寮と一軒家がセットとなったすばらしい「ベース」(活動と生活の拠点)に恵まれ、借りていたこの物件を将来的には購入したいとも願ってきました。スタッフ寮はもともと、近くにあるクリスチャンスクールに通う学生たちのための寄宿舎として建てられたものだったので、スタッフの住居としてだけでなく、訓練学校を実施するのにも打って付けでした。一軒家の方は、スタッフ寮の隣に建っていることもあり、ベースディレクター宅として利用されていました。
しかし、訓練生や伝道チームが来られなくなり、ついにはこの物件を借り続けることが困難になってしまいました。そのような状況の私たちに、主はこの使徒27章を通して語ってくださったのです。
コロナ禍はワイワム東京にとって嵐のようなものでした。いっこうに緩和されない水際対策に私たちの期待は度々裏切られ、2回だけ外国人の新規入国が許された期間も、1回目は2か月、2回目はたったの3週間で終わってしまいました。まさに「一寸先は闇」の状態です。
私たちは主がベースへと導いてくださったのだと、主がこの物件を備えてくださったのだと感じていたので、信仰のうちに立ち、ベースに留まることができるように祈り続けました。しかし、打ち破りがいつまでたっても来ない中、主が何をおっしゃっているのかを改めて吟味しなければいけないと感じるように至ったのです。使徒27章のこの物語を通して、私たちは「船」が「島に打ち上げられる」時が来たのだと理解しました。そのために、私たちはこの物件から引っ越す決意をし、ベースを購入するという期待も手放すことにしたのです。
ベースが私たちにもたらした喜びは、言い尽くし難いものがあります。この場所で捧げられてきた国々のためのとりなし。主はこの場所で私たちを用いられ、様々な人々の人生を変えられました。この場所での祝い事も、数えきれません。スタッフの誕生日や結婚、そして赤ちゃんの誕生。この場所で私たちは世界各地からの伝道チームを受け入れ、これらのチームの日本での奉仕活動を支えてきました。主はこのベースを用いて人々をキリストへと導かれ、この国へと召された者たちの召命も確固たるものとされました。私たちはこの場所を通して授かった数々の賜物を心から感謝しています。
しかし、今はまるでイスラエルの民が約束の地から再び荒野へと導き出されているかのような感覚があります。ベースに住んでいたスタッフは別々のマンションやアパートへの引っ越しを余儀なくされ、同じ地域に住んでいるにせよ、距離ができてしまったことは否めません。
主はこの状況をどのように捉えておられるのでしょうか?確実な答えはありませんが、主が今も変わらずワイワム東京のことを心から愛されていることは間違いありません。
ベースについての主の御心を求めていた時、興味深いことにスタッフの数人が『マイティ・ソー バトルロワイヤル』のセリフを思い出したそうです。「アスガルドは場所ではない。民だ。」ワイワム東京に関しても、同じことが言えます。今までと同じ場所で集うことはできなくなったかもしれません。一つの建物を私たちの拠点と呼ぶこともできなくなったかもしれません。しかし、今もなお、私たち一人ひとりのうちに同じ霊的なDNAが流れています。決意、心も一つです!
14年前、ワイワム東京が再開拓された時に与えられたビジョンとミッションは礼拝の祭壇を築くことでした。そして、この召しこそが今に至るまで私たちの基礎を成してきました。私たちは今日も、ここ東京において主を礼拝し、主に仕え、第一の戒めを実践することを、つまり「心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くして、神である主を愛すること」を志しとしています。
また、私たちは今も変わらず、父と子と霊であられる神と親しくありたいと願っています。互いを家族として愛し、周りの者たちをその家族へと招き入れることも目指しています。そして、御国がもうすでに根付いているところではその働きを励まし、まだ根付いていないところではその種を蒔くことを通して、御国の前進に携わりたいとも願っています。
私たちはパウロの励ましの言葉を自分たちのものとし、「元気を出し」未来へと突き進んでいきます。パウロは主からの天使に自分がローマでカエサルの前に立つことを伝えられました。私たちの進むべき道についても、神様が同じように語ってくださることを確信しています!
JPコーハン(ベースディレクター)
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